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参議院選挙に際して
若者の皆さんに訴えます

 7月10日は参議院議員選挙の投票日です。いよいよ、投票日まで1週間を切り、各党・各候補者間で繰り広げられる、議席をかけた熱い戦いも、より一層の熱を帯びてきました。


 この選挙は、日本憲政史上たいへんに歴史的な選挙である、といっても決して過言ではありません。なぜなら、現行憲法が施行されてから約70年、はじめて投票年齢が20歳から18歳に引き下げられて行われる選挙だからです。
 

 この選挙権年齢引き下げのねらいはどこにあるのでしょうか。それは、シルバー民主主義を打破し、若者の声、そして声なき将来世代の声を、政治へ取り入れようということです。
 

 今日の日本では、「少子化」と「高齢化」が同時に進行しています。2006年には、それまで右肩上がりだった日本の総人口がはじめて減少に転じ、これからの日本は本格的な「人口減少社会」、そして「少子高齢化社会」へと突入していくとみられています。
 

 少子高齢化のさきに、どのような日本社会の姿があるのでしょうか。よく使われるのが、肩車のたとえです。我が国の社会保障の基本的システムは、「現役世代(働いている若い人々)から集めた税金によって、リタイア世代(定年を迎え、仕事を引退した人々)の生活を支える」という発想によって成り立っています。この制度は、現役世代の数が多く、リタイア世代の数が少ない社会構造のうちは、健全に機能します。しかし、少子高齢化が進展し、現役世代の数が減り、リタイア世代の数が増えたなら、このようなシステムを維持してゆくことができるでしょうか。かつて、現役世代の人口が多かった1965年には、リタイア世代1人の生活を、9人以上の現役世代で支えていました。これを「胴上げ型」と呼びます。しかし、このまま少子高齢化が進展した場合、2050年にはリタイア世代1人の生活を、現役世代1.2人で支えなければいけません。これを「肩車型」と呼ぶのです。
 

 このような未来を防ぐためには、どうしたらよいでしょうか。元気なお年寄りには、今より長く働いていただいて、社会を支える側に回っていただく、というのも当然です。しかし、もっと根本的な対策として、若者・子ども、そして将来世代を応援するような、社会の成長の基盤づくりが最も重要です。
 

 しかし、現実はどうでしょうか。
 

 我が国の将来を担うべき子どもの、相対的貧困率は16パーセントを超え、6人に一人の子供が貧困という状態です。さらに母子家庭では、50パーセント以上の家庭が貧困という悲惨さです。幼少期、青少年期にどのような環境で育ち、どのような食生活を送り、どのような教育を受けたのかは、その人の一生に影響を与えます。貧困は教育の選択肢を狭め、教育は将来どのような仕事に就くことができるかに影響を与えます。非正規雇用は正規雇用に比べ、様々な点で不当に悪い待遇を受け、安定していないといわれますが、15代後半~30代中盤の若い世代の3割以上が非正規雇用というのが現実です。
 

 今の日本で奪われているのは「機会の平等」です。機会の平等は、公正な競争を求める健全な資本主義にとって不可欠な要素です。
 

 安倍政権は、「1億層活躍社会の実現」という美名のもと、子どもの貧困対策を打ち出しました。しかしその実態は、民間からの寄付を募り、それを子どもの貧困対策事業の財源とする、というもので、到底、子どもの貧困問題に対する深刻な問題意識は見られません。安倍首相は、参院選の遊説の中で、最大野党である民進党が日本共産党と共闘関係にあることについて、しきりに共産党が共産主義政党であることを強調して攻撃しますが、子どもの貧困を放置し、アベノミクスによって格差を拡大させた安倍政権こそ、公正な資本主義を破壊しようとしているのです。
 

 若者、とくに、18歳選挙権によってあらたに投票権を得た皆さんに訴えます。いま日本に必要なことは、あらゆる点において失われた「ルール」を取り戻すことです。先に挙げた、健全な資本主義の「ルール」はもちろん、立憲主義や、言論の自由といった近代社会に不可欠な「ルール」もそうです。日本社会から失われつつある「ルール」をとりもどし、すべての若者、子ども、将来世代が未来に希望をもって暮らすことのできる公正な社会をつくるためには、どの政党・候補者に貴重な一票を投じたらいいのか。「日本」について、真剣に考える夏にしてください。

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